拗らせ女の掃き溜め

恥も外聞も。

独りよがりは「はてな」で

ご無沙汰はてなブログ

 

最近はもっぱらワードプレスを使ったブログ制作に精を出しており、他のことにはあまり手がつかない状態だった。例に漏れず、はてなブログとも疎遠になっていたが、舞い戻りました。出戻りです。

 

ブログ運営はコンテンツ作り。いわばビジネスのようなものだ。始めこそ自分の好きを詰め込んだサイトにしようとワクワクしていたが、真面目に考えれば考えるほど管理人の個性が悪。

 

サイト全体の統一感と、読者にとっての読みやすさがなによりもの正義だと悟ってからは、サイトの隅で細々と書こうとしていた掃き溜めも更新する気がなくなり、フラストレーションが溜まっていた。

 

そんな鬱々とした気持ちでスマホを開くと、白地にペンの書いてあるアイコンがジーッとこちらを見つめている。

 

そうだ。はてなブログがあるじゃないか。

 

そんなどこかで聞いたことのあるようなフレーズが頭の中に浮かび、アプリを開いて無心で文字を入力している今。落ち着く。ただひたすらに落ち着く。

 

はてなブログを収益化に使う人もいるけれど、わたしには気軽に気持ちを吐き出すための日記として利用するのが性に合っている。ネガティブな独り言をいくらでも言っても許されるし、小説家気取りの気持ちの悪い文章をひけらかしてみても、誰からも何も言われない。むしろ運が良ければスターを付けてもらえる、自分を満たしたいだけの人には最高の場所だ。

 

こういう文章を書いている時が、わたしがわたしであることを一番実感できるし、自分にとって何か意味のあることをしているような気がする。誰にも分からなくていい。わたしにとって意味があるのだから。

 

これからも、他人にとっては意味のないタラレバで、自分の心を武装し続けよう。

 

はてなブログLOVE。

未来からの圧

生暖かい風をおくりだす黒い扇風機をみながら、わたしはなんのために生きているんだろう?

とふと思う。

 

こんな気持ちはこの間の台風にさらっていって欲しかったけど、幸いなことにわたしは雨風に晒されることなく、相も変わらず憂鬱な毎日を過ごしている。心の切替スイッチくらい押していって欲しかった。

 

そうやっていつも、自分の失敗や不甲斐なさを周りのせいにして、自分の人生なのにどこか他人事で生きてきたわたし。最近はそのツケが自分に回ってきていることをよく実感する。

 

ついこのあいだ、自ら命を絶ったイギリス人男性に関するツイートを見かけた。その人の遺書には、「イギリスでの人生はクソだった。だからタイに来れば人生が変わると思っていた。でもタイに来ても何も変わらなかった。クソなのは俺だった」と書かれていたらしい。

 

このままいくと、わたしもこの人と同じ結末を辿るだろうな。気持ちがわかりすぎてつらい。

 

散歩中にみたミミズの死骸や一生懸命鳴き続ける蝉の姿を見て、自分が生きてることに申し訳なさを感じたのは今年が初めてだった。

 

それじゃあこの先は生きていけないよって、未来から圧をかけられているような焦燥感。わたしは変われるのだろうか。

わたしはモンスター

仕事をバックれたゴミ人間、夜乃浜辺です。

 

未だに自分のキャパシティがわからず、ジワジワと襲ってくる鬱に定期的に打ちのめされています。この不穏な波は心にゆとりのある生活を送っていれば回避できるのか否か。どっちなんだい。

 

鬱期のわたしは、日頃大切にしていた思いやりの気持ちを忘れて、自分を守ることが第一優先の最悪な人間になってしまう。

 

この波があるせいで昔から深い人間関係を築けなかった。自分の器が小さいせいで絶対に仲良くできない時期がやってくるし、そのことを人にどう説明していいかもわからなかった。

 

今でこそ気が置ける恋人がいるが、このままではいつ愛想を尽かされてもおかしくない。ずっと怖い。でもなかなか変われない。寂しい。つらい。

 

悲しきモンスター。

蝉の鳴く声

日の陰る神社のなか、今年初めて蝉の鳴く声を聴いた。昔は蝉の鳴き声なんてなんとも思わなかったのに、今年はなんだか待っていましたという気持ち。27の女が一人、どの木についてるのかな?なんて探してみたりしてね。

 

まあ兎にも角にも夏がやってきました。

 

わたしはどちらかと言うと夏はあまり好きじゃない派、だった。暑いし焼けるし人はハシャぐし、家で過ごしていた方が消耗しなくて楽だなって。でも最近までの憂鬱を吹き飛ばすかのように颯爽と現れた太陽が気持ちよくって、あれ?夏も悪くないかもと思ってしまったよ。多分、わたしは太陽とか虫とか濃い緑とか、そういう自然の変化にしあわせを感じる人間なんだな。

 

最近はネガティブな思考に苛まれていたから、サマーマジックでこのまま気持ちが前向きになることを願う。

パンプスが足に合った

お洒落をするならパンプスやブーツのほうが決まるけど、痛い・重い・締めつけるという3つの試練に耐えられなかったわたしは、ここ5年ほどは専らのスニーカー人間だった。

 

だけど最近の雨で主戦力だったスニーカーが御陀仏になり、新しいものを新調しようとふらふら出掛けてみたところ、なぜだか帰り道にはパンプスが入ったguの袋を手に持っていたのだ。

 

スニーカーではなくパンプスを買った理由は単純明快。気にいったから。店舗では何種類かの靴を試し履きをしたけれど、見た目と履き心地のバランスはこのパンプスがずば抜けていた。きちんとしているのにヌケのあるこの感じはスニーカーにはだせますまい。一日外に出てみても、かかと上部が血祭りになることはなく、わたしの足の形には合っていたようだ。

 

黒以外の色も可愛かったので、他の色も購入したい。

ショートボブで夏を迎える

ジメジメの先にあるギラギラの夏に向けて、だらしないウルフヘアの襟足をバッサリ切り落としてきた。

 

不器用な人間でも毛先をくるんとするだけで、おさまりのいい綺麗なフォルムにまとまるところがボブヘアのいいところ。巻くのも結ぶのも苦手なわたしにとって、扱いやすさナンバー1のヘアスタイルである。美しい形っていいよね。

 

強いて言うならもっと重いボブの方が好みだから、ウルフの名残りで毛先が軽くしかならなかったところは少し残念。このままボブ愛が続いたら、何度かハサミを入れてもらって理想のフォルムにしようかな。

 

目指せ。前髪なしの重めボブ。

都会は便利、だけど心は

コンクリートやビルの灰色。社会に飲まれた忙しない人。排気ガスを出しまくって走る自動車。都会は便利。仕事や物の調達には不自由しないし、娯楽だっていくらでもある。だけどね、ちっとも心が満たされない。

 

疲れたなあ思うとき、いつも思い出すのは田舎街の風景で、昔住んでいたあの場所が恋しくてたまらなくなる。見渡せば一面田んぼの緑色。澄んだ空気。ベランダに遊びにくるカエルやトンボ。のびのびとお散歩をする大きなわんちゃんたち。星たちがキラキラ光る自然のプラネタリウム。スーパーや娯楽施設はちょっぴり遠かったけれど、わたしの心を豊かにしてくれる癒しはたくさんあったなあ。

 

必要なことをして生ることが生活、自分らしく生きることが暮らしというならば、わたしにとって都会は生活をするための場所でしかなく、暮らしをするには到底不向きな土地なのだろう。

またいつか田舎に住むことを夢見て。